心書Vol.241「公」
2021.8.19
人ってそれぞれ認識が違うんだなってつくづく思う事があります
認識は立場や価値観で受け取り方は変わります(^^♪
立場は一人の個人に対して様々な顔が用意されています
僕で言えば、他界しましたが両親からすれば息子ですし、弟から見れば落ち着きのない兄です
スタッフからすればいつも事務所にいない社長だろうし、若きビジネスの仲間からすれば業界の経験の長い若作りしてるおっさんだろうし、BNIの仲間から見れば結構まじめなディレクターかもしれません(^^♪
付け加えていうなれば、公人として顔と私人としての顔があります(^^♪
私人としては自由であっても、公人としての立場では許されないこともあります
それがルールや規約が明確であれば誰の目から見ても一目瞭然なのですが、ルールや規約がない場合は大変です(^^♪
書いてないから大丈夫、決まってないからやっても良いでしょう等々
僕もこういう場面に出くわしたり意見を求められることがありますが、こういう局面では判断材料は個人の感覚や感度となります。
この感覚や感度のズレが激しくなると、自分に跳ね返ってきます
このズレこそが明確でないからこそ怖いと僕は思います
まだまだ山奥で霞を食べながら生活する仙人にはなれないので、この社会で調和をして生活をしていきます
ルールや規約や規則にない部分を、その時の立場で公人か私人か判断して選択をしていく必要があります
世間とのズレを調整できるのは細胞に埋め込まれたセンサーが正常に機能するかです
自分の中のセンサーが常に正常に作動するかは、普段の学びとコミュニケーションから養えると思います
このセンサーが働かなくなると会話すら成立が難しくなる( ;∀;)
世間に媚びるつもりはありませんが、調和は必要だと思います
公人私人の立場を把握して調和していこうと思います
自分磨きとセンサー調整大事です(^^♪